エシェロンの日記 (Minimalize Optimize Kaizenこのあたりの生産性ハックを中心に)

人生をどう最適化すれば良いのか??人生を豊かにそして自由に/// Tech

TOEIC200点台からアメリカ駐在に至るまで (1)

 

英語に苦しんでいる工学系の人のための希望になるように・・

 

私は、現在、日系企業からの出向でアメリカでProject Manager (なんでも屋)をしております。最近、友人と話す中で、〇〇がアメリカで働いているなんて、信じられないと言われることが多々あります。私も、ふとしたときになんでアメリカにいるのだろうかと未だにわからないことがあります。

 

最近、どこから話を聞きつけ、研究室の後輩から、私の話を聞きたいとお話を頂きました。その子とざっくばらんにお話しましたが、とても興味を持っていただけました。印象的な言葉として、"自分の将来には本当に多くの可能性が広がっている"と言って頂いて本当に良い時間を提供できたことを嬉しく思いました。

 

その子も典型的な工業・工学の専門性でして、就職したら地元の工場や生産技術の仕事に就くとそれまで考えていたようです。再現性があるかわかりませんが、将来、海外で働きたい工業高校や高専の子のためにこの日記を書き綴りたいと思います。

 

といいますのも、私は、工業の学校の出身でして、本当に勉強もしない典型的な英語嫌いな人種でした。

いや、またまた~~という人も多いかと思いますが、これは事実です。

良い例として、私の19才のときのTOEICスコアは280点でした。(゚∀゚)

しかし問題は、点数自身ではなく、この点数が問題だと思わない自分であったと思います。

 

私の学校は特殊でして、16才~20才まで一貫教育です。(わかる人はわかるかも?)

20才のタイミングで進学or就職を選択するという仕組みになっています。

 

私は、本当になにも考えずに学生時代を過ごしておりましたので、漠然と就職をするのだろうなと思いました。こんな私に転機が訪れます。おそらく、この2つのことがなければ私は今頃全然違う仕事をしていたのだろうと思います。それは、以下のことです。

 

1.  インターンシップ (地元のプラスチック工場)

2.  ある本との出会い ("ニーチェの言葉")

 

1に関して、説明すると、私は地元のプラスチック工場でインターンシップに参加しました。この経験は自分を世間に引き上げてくれました。

その地元の研修は、いわゆる高校生がやるようなことをそのまましました。(検品・プラスチック樹脂の入れ替え・品質管理の実技等があったように思います。)

この経験の何が良かったというかというと、この仕事をずっとし続けることは私には無理だと気づいたことです。(工場勤務の方を蔑ろにするわけではありません。私は工業の出身として、モノづくりの根幹は工場であると思っておりますので、尊敬しています。)

 

2に関しては、ニーチェの言葉という本が本当に私に刺さりました。(出版社の皆様有難うございます。)また、"レバレッジ・シンキング"の本田さんの生き様に触発され、それまでの怠惰な生活が一転したことを記憶しています。

それまで、本を読むような生活から無縁であった私(学校では、寝て・放課後は部活・遊び)がこれをきっかけに貪り食うように本を読んでいた記憶があります。

 

この2つのきっかけがあり、このままの生き方だと絶対に人生に後悔をすると思ったのが大きく人生が変わった岐路であったと思います。

 

ここで、強調したいのは、人生は今日が最も若く若ければ若いほど方向の修正は簡単であるということです。事実、私も本当に怠惰な学生でしたし、学業も疎かにしていたと思います。(成績も下から数えたほうがはやいような状況でよく遊んでいました。)

こんな私でも変われたので、みんなできると思います。何かしら、人生の転機はあるはずです。これをしっかり逃さないでほしいと強く思います。

 

そんなこんなで本を沢山読む生活が続きましたが、今までの自分の負債が大きすぎて本を読むだけでは取り返しがつかないことに気づき始めていました。

まずいことは分かった。ただ、これは、まずい・・・でもどうすれば??という状態です。

 

そんなとき、地元の友人が留学に行くことを知りました。私はそんなキラキラした学生生活ではなかったのですが、なぜか行きたい!と強く思うようになりました。

工業学生が長期留学するのは、わけがわからない。しかも、自分はそんなキャラでもないと思い、短期のカナダ留学をすることをしました。(当時の行動力の源泉は何だったんだろう??)

 

短期のカナダ留学は、友人のコネを使い外部のキラキラ系の大学の留学パッケージに参加しました。当時の参加者を振り返るとキラキラ系私立文系大学生が沢山いるような環境に工業学校の自分がいる状況です。今考えるととても滑稽な光景だったのだと思います。(当時は違和感に多分気づいていなかったと思います(笑)絶対、周りに言われていたな(笑))

また、当然、キラキラ系私立文系の留学希望者ですから、まぁそれはみんな英語が得意なわけですよ。そんな中、TOEIC280の人間がいるのですからよく耐えた自分と改めて褒めたいと思います。

 

今思えば、この留学のための勉強が私の英語学習のスタートだったと思います。

このときのTOEICが前述の通り280点です。これはすごいスタートだ。

ここで強調したいのは、"留学をしたから英語ができるようになったのではない"ということです。

 

さて、留学を振り返って見ましょう・・・(黒歴史です・・・・)

 

次に続く